東北百名山

大東岳 1365.4m → 裏盤司(ウラバンジ)


    大東岳周辺地図      YAHOO地図      国土地理院

    

  • 登山日          2015年10月22日

  • 移動行程        全走行距離 2550Km

     2015-10-15     移動

      自宅→浜松西IC→首都高→湯ノ岳PA泊

     2015-10-16     二ッ箭山蓬田岳

      →いわき中央IC→国399→二ッ箭山北登山口→県41磐城街道→小野→平田[蓬田岳]
      →郡山南IC→鹿角八幡平IC→大館→田代温泉[ユップラ]入浴→道の駅[ひない]泊

     2015-10-17     結婚式出席

      終日大館→道の駅[ひない]泊

     2015-10-18     四角岳→中岳

      道の駅→国103→大湯→不老倉登山口[四角岳→中岳]→大湯温泉共同湯入浴→十和田湖→猿倉温泉[P]泊

     2015-10-19     櫛ヶ峯

      猿倉温泉[櫛ヶ峯]→奥入瀬温泉[町民の家]入浴→国103→十和田南IC→[長者原SA]泊

     2015-10-20     禿岳薬来山

      長者原SIC→国47-398→花立峠[禿岳]→国47-457-347→薬来[薬来山&薬師の湯]→道の駅[三本木]泊

     2015-10-21     七ッ森(笹倉山)青麻山

      道の駅→国4-457→七ッ森湖→笹倉山登山口→国457→仙台宮城IC〜白石IC→仙南広域農道[青麻山]
      →白石IC→仙台南IC→県62二口街道→秋保温泉[共同湯]入浴→[秋保二口]泊

     2015-10-22     大東岳→裏盤司

      大東岳登山口→県62→仙台南IC→泉IC→[とみや湯ったり苑]入浴→泉IC→笹谷IC→[笹谷峠]泊

     2015-10-23     雁戸山→南雁戸山

      笹谷峠[雁戸山]→笹谷IC→{白石(スパッシュランドX)→福島[パワーシティー・ピボットX]}→福島松川SIC→[佐野SA]仮眠

     2015-10-24     移動

      佐野SA→首都高速→浜松IC→極楽湯佐鳴台店→自宅

  • 登山行程

      3:10  二口温泉登山口(6:00)→小行沢→立石沢→五合目→コブシ平(水場)→鼻コスリ→(9:10)大東岳

      3:50  大東岳(9:40)→弥吉コロバシ→ケヤキ沢→(11:10)樋ノ沢避難小屋→裏盤司展望台→(13:30)登山口

  • 詳細

    写真
    二口温泉登山口を出発 ⇒
    写真
    小行沢の左岸を行く ⇒
    写真
    小行沢を右岸⇔左岸と行く ⇒
    写真
    二合目を通過する ⇒
    写真
    広場 ⇒
    写真
    その先で小沢を渡る ⇒
    写真
    そして戻る ⇒
    写真
    四合目から尾根に向かう ⇒
    写真
    五合目広場に着く ⇒
    写真
    鹿内林道ヘノ道ヲ右ニ見送ル ⇒
    写真
    ブナ林の七合目を行く ⇒
    写真
    こぶし平に着く ⇒
    写真
    チョロ水場に寄る ⇒
    写真
    八合目を通過 ⇒
    写真
    急登になる ⇒
    写真
    鼻こすり山頂マデ0.6Km ⇒
    写真
    モウ山頂は近い ⇒
    写真
    笹の被さる道を奥に行く ⇒
    写真
    山頂広場に着く ⇒
    写真
    大東岳にて ⇒
    写真
    南面白山(左)〜面白山(奥) ⇒
    写真
    テマエ面白山〜、ウシロ黒伏山〜 ⇒
    写真
    テマエ〜泉ヶ岳、ウシロ舟形山〜 ⇒
    写真
    山頂カラ雑木原ノ展望地ヘ ⇒
    写真
    左:神室岳-糸岳-1132P ⇒
    写真
    中:1132P〜小東岳〜 ⇒
    写真
    右:〜南面白山(中) ⇒
    写真
    弥吉ころばしを下る ⇒
    写真
    ナルホド転ばし斜面だ ⇒
    写真
    ケヤキ沢に向かって ⇒
    写真
    ケヤキ沢に出る ⇒
    写真
    1113Pを前方に ⇒
    写真
    下流は紅葉が最盛期 ⇒
    写真
    樋の沢避難小屋に下る ⇒
    写真
    小屋の水場で給水 ⇒
    写真
    北石橋分岐を通過 ⇒
    写真
    大行沢沿いに下る ⇒
    写真
    対岸への分岐標識を通過 ⇒
    写真
    ロープがある ⇒
    写真
    手摺の道もある ⇒
    写真
    粗末な橋もある ⇒
    写真
    樹間の梯子滝の本滝 ⇒
    写真
    展望台カラノ盤司岩(ゴク一部) ⇒
    写真
    ごろっときたら・・・ ⇒
    写真
    対岸ノ盤司岩ニ匹敵ダネ ⇒
    写真
    雨滝:パラパラ水滴が上から ⇒
    写真
    白滝分岐に出る ⇒
    写真
    チョット登ッタガ、上ガ白滝? ⇒
    写真
    林道跡に出て進む ⇒
    写真
    登山口に戻る ⇒
    写真
    泉に出て湯ったり苑で入浴 ⇒

    昨日は秋保(アキウ)温泉共同浴場で入浴し、この奥の秋保二口温泉大東岳登山口で泊まる。
    翌朝起きると一台車がある。出発の準備をしている我々の前を挨拶して表コースへ出発して行く。
    日本三百名山を登り終わられた富山の方で、お一人でめぼしい山を登っているとのこと。
    我々も少し遅れて出発する。

    小行沢(コナノサワ)の左岸を行くと沢に出る。大雨でなければ大丈夫な沢の渡渉を繰り返し二合目に着く。
    ここから先は立石沢になる。二合目の先で広場に出る。テント泊には良さそうな所だ。
    枝沢もある立石沢沿いに登って行き三合目、四合目を過ぎると沢から離れて尾根の登りとなる。

    五合目の上に鹿打(シシウチ)林道分岐がある。穴戸沢(アナドサワ)林道を経て野尻に至るとある。
    我々が持っている国土地理院の最新地図、昭文社の地図(1997版)に記載がない。
    直下まで林道が来ているのかも。

    笹、ブナ、ダケカンバの小路を六合目、七合目と登って行き、こぶし平の平坦地に着く。
    水場が左手100mにあるとのこと。妻は帰りにすればと・・・今の調子なら裏盤司の見学コースだよ。
    この一言で周回に決まる。一人で500mlペット一本を持って水場に向かう。チョロ水だが飲めるジャン。

    八合目の手前で富山の方と擦れ違う。早い!韋駄天だ。これから飯盛山に行くとのこと。
    たしか白虎隊が自刃した悲劇の場所、会津若松檜枝岐村、かなり距離と時間がかかるが・・・
    この先、九合目直下はカナリの急登でロープが設置されている。
    登りきると鼻こすりの道標がある。この急登を鼻にたとえているようだ。

    直ぐに九合目が現れ、その先は笹の被る緩斜面と言うか平坦地で、進むと山頂広場に着く。
    三角点は大きい一等、展望も素晴しい、面白山、泉ヶ岳、舟形山など北〜東方面に展望がある。
    チョット先まで行ってみると南面白山〜権現様峠、奥に面白山の山々が望める。

    朝昼食後下山へ、コースは樋ノ沢(トウノサワ)避難小屋に下り裏盤司(ウラバンジ)見学の大東岳裏コース。
    これが渓谷沿いのナカナカのコースで時間がかかると後で分かる。でも変化、展望、紅葉・・・good!
    山頂からチラチラ見える展望の笹とか低雑木とかの高原状の原を抜け下ると真打!大展望地に着く。
    薄い蔵王〜雁戸、〜神室岳〜糸岳〜小東岳〜南面白山の山々が連なって望める。これはスゴイ!

    この先に「弥吉ころばし」の道標がある。此処からは直線的に下る急斜面となる。
    どこまでが「弥吉ころばし」なのか分からないが、一部平坦地もある。ともかく避難小屋近くまで急である。
    途中からケヤキ沢に出て沢を下るが下部は凄い紅葉だ。
    下った避難小屋を覗くとナカナカ綺麗で布団が干してある。水場もある。これなら快適に過ごせるね。

    これからが長い。名取川源流の大行沢(オオナノサワ)を直線的に下れれば早いが渓谷道である。
    大行沢に張り出す枝尾根と枝沢を地形なりに付けられた道で下らねばならない。
    アップダウンあり、大回りあり、鎖場・ロープ場もありで時間がかかる。

    対岸の裏盤司の岩壁群は凄い。我々がいる側の岩壁もナカナカで迫力があり、労を帳消しにしてくれる。
    滝もあるがソソソコの梯子滝以外はたいしたことはない。渓谷のアクセントとしてはいいが。
    白滝分岐の先からは林道と言うか跡である。堰堤にかかっていた橋は崩壊し梯子が設置されている。

    駐車場に戻り明日以降の天気を確認する。明日は良いが明後日は下り坂の予報。
    笹谷峠から今日見えた雁戸山、神室岳を登り帰宅することにする。今日のお風呂は二口温泉か昨日の秋保温泉。
    と思ったがジャグジーなどの設備がないので妻が大反対、仕方なく泉まで走り「湯ったり苑」に行く。
    2時間程リハビリして泉IC〜笹谷ICと走り笹谷峠へと向かう。

    *磐司(バンジ):マタギの磐司磐次郎、磐三郎兄弟がこの岩壁辺りを拠点に活動していたことに因むとのこと。

  • 一言

    手抜き無し、大東岳の全貌を知る山旅であった。