日本三百名山

和名倉山(白石山) 2036.0m


    和名倉山周辺地図      YAHOO地図      国土地理院

    

  • 登山日          2005年11月12日(土)〜11月13日(日)

  • 移動

     2005-11-12     移動・将監小屋

      浜松西IC→富士IC→精進湖→甲府→道の駅泊→大弛峠→塩山→三ノ瀬駐車場

     2005-11-13     和名倉山

      三ノ瀬駐車場→勝沼→甲府→精進湖→富士IC→極楽湯→帰宅

  • 登山行程

      1:45  三ノ瀬民宿駐車場(12:00)→将監小屋(13:45)

      6:50  将監小屋(6:10)→東仙波→(9:10)和名倉山(9:30)→(11:50)将監小屋(12:00)→三ノ瀬(13:20)

  • 詳細

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    三ノ瀬の登山口 ⇒
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    別荘が現れる ⇒
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    牛王院平への分岐 ⇒
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    水場 ⇒
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    将監小屋 ⇒
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    将監峠 ⇒
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    山ノ神土 ⇒
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    夜が明ける ⇒
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    東仙波山頂 ⇒
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    東仙波より唐松尾山 ⇒
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    東仙波より将監峠 ⇒
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    和名倉山への稜線 ⇒
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    稜線より甲武信岳方面 ⇒
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    途中の奇岩 ⇒
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    川又分岐 ⇒
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    二瀬分岐 ⇒
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    山頂手前広場 ⇒
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    和名倉山の山頂にて ⇒

    [2005-11-12]

    国師岳に寄ってから将監小屋に入るつもりであったので、前日は大弛峠入り口の「道の駅・まきおか」に泊まる。
    (尚、当日、ダム工事中で県210経由、杣口林道からでないと、大弛峠に行けなかった。)
    大弛峠のかなり手前から雪がポツリポツリ現れ始め、3Km手前で本格的な雪道となりスリップしだす。
    先に進むか考えあぐねて止まっている車がいる。
    今回は和名倉山だけにしよう。事前にタイヤ交換をしておくべきであった。

    上って来た道を引き返すが、数十台の珍車のデモ走行がこの道であり、すれ違いに難儀する。
    大菩薩方面の道に入り、途中、日帰り入浴施設「大菩薩の湯」で入浴し三ノ瀬に昼頃着く。
    登山口の林道と思われるところに、木とドラムカンが置いてあり(施設ゲート)進入を阻止している。
    登山口の民宿に車を置かせてもらう。(500円×2日=1000円)

    駐車した民宿の裏から林道に入り、別荘を過ぎるとゲートがある。
    つまり此処まで本来は入れる?金儲けと迷惑駐車防止で、私設ゲートを手前に設置しているのでは?
    橋を渡り林道を登って行くと牛王院平方面との分岐に出る。
    そのまま林道を登っていくと左手に水場が現れ、暫くすると将監小屋に出る。

    小屋にはトラックが置いてあり、歩いてきたこの林道は将監小屋の専用道路のようだ。
    小屋には早着きの昔若者の男女が7〜8人、薪ストーブを囲んで談笑中。隅の方に入れてもらう。
    当日、ガスボンベを忘れストーブの上の「やかん」のお湯で夜食を作る。助かった!
    食事後にフトンの分配。当日の宿泊客は25名程だったので、一人に1セット確保出来る。
    泊まる人が全員集まった所で配るという、良い制度だと思う。
    又、食事後は騒ぐ人もいず、小屋番さんの管理の良さかと。ただイビキは困りもんですんね。

    [2005-11-13]

    朝、暗いうちに出発、山の神土を確認し和名倉山への登山道に入って行く。
    直ぐ藪となり暗くて道がはっきり見えず時間をロスする。藪を過ぎればはっきりとした登山道だ。
    西仙波手前に来ると明るくなり、進むルートがはっきり確認でき余裕が出てくる。


    方向の変わる東仙波から先は大展望地があり、小さなピークを何回も越えて行く。
    樹林帯に入り川又分岐、直下の伐採地を通過すると山頂である。
    我々がトップ、帰りは小屋に泊まった人たち10名程と挨拶しながらすれ違う。帰りはペースが上がる。
    左に雲取山、飛竜山、右に甲武信ヶ岳を見ながらの稜線漫歩で小屋に帰着。素泊まり荷物を回収し林道を下山。

    帰りは勝沼ICから甲府南ICまで下を走ったが時間がかかり過ぎる。高速道を使うべきであった。
    富士IC手前は相変わらず大渋滞、何とかならないものだろうか?

  • 一言

    甲武信ヶ岳、雲取山方面が望める好展地がある、山深い樹林の山であった。