- 登山日 2002年10月10日〜13日
- 移動行程
2002-10-09 移動
自宅→飯田IC→豊科IC→穂高→[中房温泉登山口駐車場]仮眠
2002-10-10〜12 燕岳・大天井岳・槍ヶ岳・奥穂高岳
2002-10-13 下山・帰宅
上高地→新島々駅→松本駅→穂高駅→中房温泉→豊科IC→飯田IC→昼神温泉→自宅
- 登山行程
2002-10-10 中房温泉(6:30)→燕岳→大天井岳→(15:00)大天荘
2002-10-11 大天荘(6:30)→西岳→槍ヶ岳→大喰岳→南岳→(16:00)南岳小屋
2002-10-12 南岳小屋(6:30)→北穂高岳→奥穂高岳→前穂高岳→(17:00)岳沢ヒュッテ
2002-10-13 岳沢ヒュッテ(6:30)→(8:30)上高地
- 詳細
[2002-10-10] 中房温泉→燕岳→大天井岳→大天荘
4:00 中房温泉(6:30)→合戦小屋→燕山荘→(10:30)燕岳
2:30 燕岳(11:30)→(12:00)燕山荘(13:00)→(15:00)大天井岳→大天荘
中房温泉登山口 ⇒
第3ベンチにて ⇒
富士見ベンチ ⇒
合戦小屋 ⇒
槍の穂先が見えだす ⇒
槍ヶ岳遠望 ⇒
燕岳遠望 ⇒
餓鬼岳方面 ⇒
大岩と有明山 ⇒
稜線間近 ⇒
燕山荘前にて ⇒
燕岳にて ⇒
燕岳にて ⇒
燕岳からの槍ヶ岳 ⇒
燕岳から小屋方面 ⇒
燕山荘から大天井へ出発 ⇒
大下りの頭にて ⇒
⇒
切通岩分岐にて ⇒
大天井岳にて ⇒
大天荘にて ⇒
当日、中房温泉に通ずる道路は深夜工事中で通行の時間制限があった。時間ぎりぎりで通過できる。
国民宿舎を過ぎた中房温泉手前の広い駐車場で仮眠する。入り口には、3日以上の駐車は不可の看板がある。
翌日、登り始めると、既にかなりの人が先に登っていた。第3ベンチ辺りまでに殆どを追越し、楽になる。
槍ヶ岳の穂先が見え始めてから燕山荘に着くまで、飛ばしすぎたのか結構長く感じる。
燕山荘前の広場には、皆さん出発したのか、登山客はあまりいなかった。荷物を小屋の隅に置き山頂に向かう。
アップダウンの少ない展望のいい稜線を30分弱歩けば山頂である。人気の割りには、山頂にあまり人はいなかった。
秋晴れで360度の大パノラマを満喫できる。
燕山荘小屋に戻る途中、声を掛けて来る人が・・・な!なんと!会社の人が奥さん同伴で・・・
槍ヶ岳まで行こうと誘ったが、燕岳のみ往復して帰るとのこと。
直ぐ側では、たくさんの猿が群れをなして、移動して行くところであった。
どこに行くのだろうか?冬に備えて山麓に移動して行くのだろう。いたずらするなよ!
そして、沢山の「ななかまどの赤い実」が印象的であった。
小屋に戻り、荷物を担いで大天井岳に向う。距離はあるが、アップダウンが少なく、展望がいいので気分的に楽である。
大天荘への最後の登りは、疲れたせいかピッチが上がらず、苦戦する。
とりあえず山頂を往復してから大天荘に入るが未だ15:30である。先着の登山客は数名のみでガラガラの状態。
夕食まで一人で中天井岳で写真撮影、久しぶりに穂高の夕暮れを楽しんで時間をつぶす。
小屋の夕食の献立が良く、ご飯がとてもおいしかった。泊り客が少なくグッスリ眠ることができた。
*今までは山中での宿泊は全てテント泊であった。妻は初めての小屋泊まりである。
楽な山行を覚えると、次回から全て小屋泊まりになってしまうのでは・・・
[2002-10-11] 大天荘→槍ヶ岳→南岳小屋
6:30 大天荘(6:30)→赤岩岳→西岳(2758m)→水俣乗越→(13:00)槍ヶ岳
2:30 槍ヶ岳(13:30)→大喰岳(3101m)→中岳(3084m)→南岳(3032.7m)→(16:00)南岳小屋
朝日の穂高連峰 ⇒
朝日の槍ヶ岳 ⇒
槍ヶ岳に向かって ⇒
喜作新道を行く ⇒
喜作新道からの槍ヶ岳 ⇒
ヒュッテ西岳にて ⇒
長いハシゴを下る ⇒
水俣乗越から槍ヶ岳 ⇒
水俣乗越 ⇒
ヒュッテ大槍にて ⇒
槍の穂先を登る ⇒
槍からの穂高連峰 ⇒
外人さんと ⇒
槍ヶ岳にて ⇒
槍ヶ岳にて ⇒
笠ヶ岳方面 ⇒
西鎌尾根と鷲羽岳 ⇒
表銀座方面 ⇒
大喰岳めざして ⇒
大喰岳より穂高方面 ⇒
大喰岳にて ⇒
中岳めざして ⇒
中岳より穂高連峰 ⇒
中岳にて ⇒
中岳より槍ヶ岳 ⇒
南岳にて ⇒
南岳小屋にて ⇒
早朝、朝日に照らされ赤く染まった穂高・槍を見ながら出発。宿泊客はいた?と心配になる大天井ヒュッテに下る。
アップダウンの少ない縦走路を西岳へ。暫しヒュッテ西岳で槍・穂高の展望を楽しむ。
ここからが大変である。ハシゴ・クサリのある急坂を一気に2百数十メートル急降下。
槍ヶ岳が頭上高く聳えているようになり、思わずウーンと唸り声をあげたくなる。
水俣乗越で休息していると槍沢から登って来た単独登山者が現れる。
ここから先、山頂を見ないようにダダひたすら登る。ヒュッテ大槍前で槍ヶ岳を見ながら昼食とする。
昼食後、岩の稜線を伝いに歩き槍ヶ岳山荘に着く。荷物を置き、はしごを上って、山頂に到着する。
過去幾度か訪れていたが、晴れていて何回来てもいい所である。アメリカ人?がお二人登ってくる。
穂高から縦走してきたとのこと。Please take a picture と言うと思ったら、写真撮って下さい!と日本語が。
yes そしたら、二人、顔をこすり付けて、早く撮って! 分かったよ! バシャ! 我々は別々に撮影。
南岳まで行く予定であるので、あまり余裕はない。山頂をほどほどに切り上げる。
大喰岳、中岳、南岳と通過し疲れた足取りで南岳小屋に着く。槍ヶ岳以降、殆どすれ違う人はいなかった。
小屋にはキレット通過、雪で危険の掲示が・・・外人も今日通過していたので、アイゼン持っていないが大丈夫・・・
*西岳から先、槍ヶ岳までが核心部で体力的にかなり疲れる。
南岳小屋も、大天井荘同様に泊り客が少なく静かで快適であった。
[2002-10-12〜13] 南岳小屋→奥穂高岳→大天井岳→岳沢ヒュッテ
9:00 南岳小屋(6:30)→(9:00)北穂高岳(3106m)(9:30)→涸沢岳(3110m[3103.1m])→(12:00)奥穂高岳(12:30)
→(14:30)前穂高岳(15:00)→(17:00)岳沢ヒュッテ泊
キレットからの北穂高 ⇒
キレットから南岳 ⇒
北穂高岳にて ⇒
奥穂高岳山頂にて ⇒
奥穂高岳にて ⇒
山頂とジャンダルム ⇒
前穂高岳にて ⇒
前穂より表銀座 ⇒
岳沢ヒュッテにて ⇒
今日は、新雪の付いたキレットの通過ということで心配しながらの出発となる。
しかし、南斜面なのであろう、キレットの最下部まで全く雪は無く拍子抜けする。
岩のアップダウンを繰り返し進むと北穂高岳への登りの基点に着く。
いよいよ、雪が付き、所々凍結した北穂高岳への登りに取り付く。
スリップに細心の注意を払い、降りてくる登山者とすれ違いながら進む。
緊張で時間の過ぎるのを忘れて登ることに没頭する。何とか北穂高山頂に着くと、なん〜と人人人、ものすごい人。
暫し休息後、若い頃に何度も通った道である涸沢岳を経て奥穂高岳へ。奥穂高岳の直下で積雪のため大渋滞。
ある団体の下山を待っていると、その中の1人が「俺は穂高は3回目の大ベテラン!」と威張っている。
ところが引率のガイドは「勉強せず、レベルアップがない、ただ息巻いているだけの迷惑登山者だよ。」
と小さい声で、そっと耳打ちしてくれる。
奥穂高岳の山頂は超満員状態、写真は順番待ち、写すのを頼まれた人は大変である。
一旦頼まれ、撮りだすと次から次に依頼が殺到する。申し訳なかったが、私たちもお願いして、撮影していただく。
便乗依頼してすみません。ありがとう御座いました。
山頂から離れ休息後、前穂高岳に向かうが、ちょっと時間が遅い気がする。
紀美子平に着いた頃は人影がまばらで、疲れて嫌がる妻を説き伏せ前穂高岳を登る。
広い山頂には誰もいなかった。暫し大パノラマを楽しむ。
もう少し景色を楽しみたかったが、時間が気になるので、ソコソコに切り上げ下山を開始する。
岩混じりの岳沢の下山は疲れた足にこたえる。ヒュッテに着く頃は既に暗くなり始めていた。
岳沢ヒュッテは超満員であった。食事の時、前に座った方が名古屋のご夫婦でした。
持ってきていたワサビ漬けを少し賞味させていただく。夜は前二泊のように熟睡が出来なかった。
翌日、上高地から新島々経由で松本へ。車回収の為、大糸線で穂高へ・・・しかし数分前に電車が出た後であった。
接続の悪さには困ったものである。結局松本駅で1時間以上待つことなる。
穂高駅から一人、臨時の中房温泉行きバスに乗り、車を回収して妻の待つ穂高駅へ。
*新雪を踏んでの北穂高キレット通過に緊張。北穂高から上高地まで人がすごく、うっとーしい限りであった。
昔も今も変わらな無いが・・・むしろ、最近の方が、登山者が多いと感じる。
[2002-10-13] 下山
2:00 岳沢ヒュッテ(6:30)→(8:30)上高地
- 一言
三十年ぶりに槍、穂高の岩稜を楽しむことが出来た。チョット人が多すぎますね。